2015年12月30日水曜日

恐怖の公衆電話

寒さも厳しくなってきました。
今年もアッという間に終ろうとしております。

私が生まれてから、技術革新により、あらゆるものがスピード化され、有効な時間を過ごせるはずですが、感覚的には時間もかなり速く過ぎている様な気がします。

もう少しのんびりと時間が過ぎてくれたらいいのですが、世話しない生活を送っております。

携帯電話が出てきて便利になりましたが、この携帯電話も世話しない気持ちにさせるモノではないでしょうか?

そして、町のあちらこちらに有った公衆電話ボックスも影をひそめてしまいました。

そんなことを考えていたら、高校時代あの狭い電話ボックスに3人ですし詰め状態に成りながら友人が好きな女子にデートを誘うための電話に付き合った時のことを思い出しました。

今では全く考えられませんが、好きな女の子に電話するという事は、かなり勇気のいる行為でした。

心臓バクバックもイイところです。

勇気その1、彼女の自宅に電話をする為親が出てくる確率が高い。

勇気その2、母親が出てくれれば少しラッキー、父親が出てきた場合は、口から心臓が飛び出そう 
                    な気分。

勇気その3、彼女が自宅に居るか、居ないのか、最悪居留守か・・・・居ない場合は、また電話を掛
                    け直さなければならない。その場合は、勇気その1から始めなければならない。
勇気その4、彼女がこちらからの要求を快く受け入れてくれるのか・・・・
                     玉砕した場合すべての勇気がパーになる。

たかが、デートの誘いであってもだ。

そんな、ミッションを遂行するため、一人で電話を掛けるなんてなかなか出来る者は居なかった。

とかく、仲の良い友人に頼み、電話の横に居てもらうのだ。

今考えると、横に居てもらうだけではあるが、何故か力強く感じるのだ。

冬のある日の出来事である。

私の友人Aが好きな女の子をデートに誘うため、私とBと3人で公園の電話ボックスに入り込み電話をした時のお話です。

Aはソワソワしながら電話ボックスに入り込む。
私と、Bがそのあとに続いた。

B:「なんか、ウンコ臭くねー?」

A受話器を取りお金の準備をしながら

A:「誰かウンコ踏んでんじゃねーのー?」

A受話器を耳に当てた状態で靴の裏を見たり、周りを嗅ぎまわっている。

B:「俺踏んでないよ」

俺:「俺でもない」

A:「俺も大丈夫」   辺りを嗅ぎまわっている。

A:「じゃあ電話するぞ!」       勇気その1モードに入った。

B:「本当にクセーなー」

A:「シーっ」
     『プルプル・・・プルプル』

A:「あッ!も・もしもし 私Aと申しますが、真理さん居ますか?」

  ・・・・・・・

A:「あッ! そーですかー・・・・では、またかけます。失礼します。」

A:「居ないってさ~」受話器を掛けようとした時!!!

B:「あ~ やべー」「受話器の耳の所       げ~    」         爆笑している。
一同受話器を裏返し耳の部分を見た

 ・・・・・・

なんと、最悪の結末となったのだ・・・・・

その受話器の耳を当てる部分に誰がヤッタのか(-_-;)

Aは顔面蒼白だ・・・

A以外は大爆笑

ウンコが乾いた状態でへばり付けてあったのだ~

その後、Aは公園の水道で耳を死ぬほど洗っていた。

寒い冬の出来事であった。

2015年12月27日日曜日

昭和歌謡

お久しぶりです。あさなぎです。
最近、普通の歌番組が少ないと思いませんか?モノマネや点数を競う番組はあるのに…。熱心に歌番組を観るほうではないけれど、少し寂しい感じです。
ところで、若かりし頃、皆さんはどんな音楽を聴いていましたか?あさなぎはあまり音楽に詳しくないのですが、それでも、小学校低学年で秀樹が好きになり、天地真理や麻丘めぐみをテレビでよく見ていました。ヘアースタイルも麻丘めぐみカットでした。中学生ではベイシティローラーズ、さだまさし。一貫性の無いこと、このうえありませんが。明星や平凡に載っているピンナップを切り取っていました。タータンチェックの衣装やフサフサのさだまさし…  世良公則も全盛期でした。懐かしいでしょ。ユーミンを聴き始めたのもこの頃です。卒業写真とか、今も色褪せない楽曲は本当に素晴らしいですね。陽水も拓郎も、みーんなそれぞれの音楽の世界でキラキラと輝いていました。思い起こすと、一番音楽を聴いていたのは中学生だったのかもしれません…。高校生はもっぱら松山千春とサイモンとガーファンクル、ワム。こう書き出してみると、全くもって脈絡がないですねえ。カラオケが出てきたのは20歳を過ぎた頃でした
。音楽に聞いていると、その当時の状況が浮かびます。大瀧詠一の唄は◯◯で聞いたなぁ、とか。まさに、青春は歌とともに、ですねー。音楽センスが無いということが、バレバレなあさなぎの青春時代でした。
皆さんも、いろんな情景が浮かんだのでは?
昭和ではありませんが、主人の家に初めて行った時にかかっていたのは、mcハマーでした…  結婚以来、聞いたことがありませんが。


2015年12月24日木曜日

昭和の噂

最近は変な噂話が広がっている事が少ないのかな?

子供の頃の噂話といえば私の中ではやはり「口裂け女」が一番心に残った噂話でしょうか。
あまりにも大きな話題になり過ぎて一斉下校も数回行われた事があったが、いつの間にかその話題も忘れ去られた感じだった。
でも、日本全国でどこまで広がったのだろうか?
地域によって同じ話題でも様々な形があるという話を聞いた事があるけど、一度各地ごとに同じ話題がどのような話だったか聞いてみたい気がします。

このようなデマの威力は凄いけれど、今の時代は情報が早すぎてデマも追いつかなくなっているだろう。
いまの時代はネットの中で色々な噂話が広がっていて耳に届いてこないのでしょうか?



「ネッシー」「ツチノコ」は未だに探している人がいるのでもしかしたら見つかるかもしれないけど・・・。


2015年12月19日土曜日

昭和のクリスマス♪ 

記:wakame wakame


昭和のメガネ・・・たしかに丸いメガネとちょび髭 昭和のイメージですね(^-^)
  「アニメに描きやすい 学校の先生とか、国鉄の駅長さん」という感じですかね

まぁ、平成でもお洒落さんの間では 「まだ有り得る」 丸メガネとちょび髭


だけど、ロンパーさんでご紹介されていた 「振り子時計」・・ムムム・・・これは (ーー;) 
今の世の中には、「ボンボン振り子時計」は、探さないと皆無?!?!

と、思ったけど 有るんですね 
昔のままできちんと (というか、持ち主さん大切にお持ちでしたね)
「物を大切にする」 という事を無言で教えて頂いた気がします


「物があふれる現代社会」 
「直すより買った方が安いという何とも合理的な世の中」
「年々高騰するクリスマスプレゼント」
「愛の深さより数が勝負のバレンタインチョコ」(あれ?ちょっと違う)


色々とめまぐるしく変化を遂げている昭和から平成ですが
変わらないのは・・・

そう! 「クリスマス」




今も昔も全然変わっていませんね
ツリーに飾り付けをして、クリスマスパーティーで チキンとケーキを食べる ^^;
そして、一晩寝るとサンタさんからクリスマスプレゼントが届いている

変わっているとしたら、家じゅうに電光石火の飾り付けをする家が増えたことと、
使っている電気がLEDに、そして、クリスマスプレゼントが 現金になったことかなぁ @@;


でも、世のお子ちゃま達のサンタパパたち
喜ぶ顔を見たい一心でプレゼントを探す心は 「変わらない」ですよね (^-^)


Merry Christmas !!


by wakame



2015年12月15日火曜日

昭和のめがね

ロンパージュームさんの時計の話
今回も笑ってしまいました!

時計自体はただの物かもしれません。
ですがそれぞれみんな物に対して思い出が宿っていますね。
僕も品物をみると、ふと昔のことを思いだしたりします。
(ロンパージュームさんの場合は面白エピソードばかりですが!)

昭和の丸めがね

昭和の初期に活躍したこの形のめがね
教科書に出てくる偉い人がかけていたり
戦時中を連想させる印象です。

今はいろんなデザインが街にあふれています。
平成を代表するデザインはどんなめがねになるのでしょう?

目が悪い人がつけるはずの?めがねですが
ファッショングラスとしても広がりをみせ
サングラスも一部の人のものだけではなくなりました。

世の中はグルグルまわり
新しいものは生まれ続けていますが
ふと過去を思いだし立ち止まることも悪くないな
なんて感じました。

bukidai




2015年12月11日金曜日

昭和の時計 どの家にもあった

明日はきっと 遠足だから話す機会があるぞ・・・ 何を話したら良いんだろう 
もしかしたら バスの席隣だったりしえ ウッヒヒヒヒヒ なんで妄想しているうちに
何故か 鐘の音が 1回・・・ ん・・ 1時  待てよ 1時半 違うな・・・ 
12時半か なんて・・・

これがわかる方は昭和の時代の方ではないでしょうか・・・ 何処にでもあった振り子
時計。 時間が来ると その回数で時間を教えてくれる なおも ご丁寧な事に 30分に
一度 1回の鐘で時間を告げてくれるという なんとも奇妙な時計が 何処の家庭にもあったような・・・  夜中だろうとなんだろうと容赦なく 一方的に 時を伝えると言った 自分勝手なあつかましさ・・・。 でも 家族誰一人として 時を刻む時計様には文句は言わない・・・。 プラス なんとも カチカチと 振り子の音が 響く 響く・・・ 恐らく今あったら気が狂うような 時間の催眠を掛けるような・・・ 実あの時代はそれを 子守唄代わりに眠りについたのだろうか? その上 恐ろしい事に前の晩にチョット怖い ドラマなにか見た日には その音が頭に響いて寝られない・・・ カチカチ カチカチ 容赦約 時を刻む訳で・・・・

しかし 確り眠って 万全の体制で臨む事は 間違っても試験でもなく 明日の遠足 ! 何よりも大切な日なんだから・・・と  そうはわかりつつ 1回目の鐘の音はいったい何時なのか気になる・・・ トイレにも行きたいけど・・・  そうこうして入るうちに ようやく 希望の鐘の音 なんと 3回・・・ 災厄 世の中かで一番怖い時間だ 掛け布団を確り 握って丸くなる。そうこうしているうちに やけにトイレに行きたくなる しかし 丑三つ時を 越えたばかりの時間にトイレに行く勇気がない・・・ 

そうこう ウトウトしているうちに 6回の鐘で 朝を迎える・・・ “寝られなかった・・”
万全どころか 目が真っ赤で 遠足へ・・・ そしてなんとも お目当ての女の子は 野球が上手い人気の あいつと仲良くご飯を食べているのをみながら ただただ 柱時計の音が鳴り響く日が過ぎ去る昭和の1日でした、

柱時計 私の大切な一日をかえしてくれ~



ロンパージューム



2015年12月9日水曜日

バラ線

移動途中の車窓から何気なく目に入ったのが「バラ線」
昔は至る所にあったバラ線は「有刺鉄線」というのが正式名称のようだが、やはりバラ線という言い方がシックリくる。(プロレス好きの方々は有刺鉄線という呼び名の方が良いのかもしませんが・・・。)

移動中気になったのでバラ線を意識して見ていましたが、その後一度も見る事無く一日が終了してしまいました。
どこに行ったんだ?バラ線  いつの間にかどこかに消えてしまったようだ。
自分の中でも何年も、いや、何十年もバラ線を意識していなかった事に今日気づいた。

子供の頃、外で遊んでいる時に必ず服を引っ掛けて破いてしまったり、怪我をしたりと良い想い出はあまり無いバラ線ですが、改めて考えてみるとその存在のおかげで五感が鍛えられたようなきもするな~
まあ、今の時代には合わないのは間違えないでしょうね・・・。

今回のバラ線のように意識していると見えてくるのに意識していないと見えない物が沢山ある。
今まで出会った物を改めて思い出してみようと思った今日の出来事でした。
昔の物も今みると新鮮な見方が出来るかもしれないから。

さっそく引っ張り出したこいつもジックリ見てみようか。
Waka

2015年12月5日土曜日

昭和のファッション

こんばんは、あさなぎです。

今年の流行りは少し大きめの洋服、らしいです。コートもすこぉし丸いフォムルム、セーターも大きめです。
流行は予め作られていると知ったのは、いつの事だったでしょうか…。

でも、青春時代は流行りの洋服に身を包み、浮かれた時間を過ごしていたんですよねぇ。
ワンレンボディコンなんて、今見ると穴があったら入りたいくらいです😁
今これを読んでくださってる貴方は、サーファーフアッションでしたか?それともトラッドでした?男性ならJUNというのもアリでしたよねぇ。少し前にテレビを見ていたら、ノーマカマリのセットアップが映りました。肩パット入りでウエストマークのサーキュラースカート。無地かチエック柄でしたね。思わず、懐かしいって叫んでしまいました‼️

ところで、流行りに乗るのは恥ずかしいと思いますか?私は、素敵な事だと思います。流行り廃りに左右されないのも自身の価値観が確立されてして凛々しい事で素敵ですが、流行り廃りに惑わされて、右往左往し、散財するのもまた、アリだと思うのです。
無駄な事を全て排除したら、無味乾燥になってしまう。
無駄を人生のエッセンスと捉えて、愉しめる自分でありたいと思う、今日この頃です。

2015年11月27日金曜日

昭和のおとな



記:wakame wakame


私が大人になる前にご縁あって
お逢いした「おとなの方々」

近所のおじちゃんとおばちゃん・学校の先生・耳鼻科の先生・友達のおかあさん
学校の用務員のおじちゃん・給食のおばちゃん・突然家に来る父の同僚たち

たくさんの「おとな達」に囲まれて育っていた
その頃は、いわゆる普通に素直な子供だったので

「おとな達」の行動・言動なども素直にスポンジのように吸収していた
それとなく 「おとな」同志の暗黙のルールがあるように

こども達に善悪を教えてくれたり(皆々申し合わせたかのように言うことは同じ=いわゆる常識)
一歩社会に出たらの立ち振る舞いなど、家でステテコの父も、一歩外に出るときは
スーツ姿に身を包んで颯爽としていたり。内と外のメリハリを自然なそぶりで教えてくれた

そういう彼らを見て育ったワタシは、そんなに道を踏みはずしていない
普通の常識ある「おとなに」育った・・・・と思う  tabun



ところが、今の「大人達」はどうだろうか

ニュースを見れば、自分の欲だけで様々な事件を起こし、問題を起こしている
閉まりかけた電車に飛び乗ったり、並んでいる列に平気で割り込んだり
信号は無視するし、電車で足を広げて新聞を読んだり、空いてる席に荷物を置いたり

全くもって、人の迷惑に成ることを省みず堂々としている
そして、若者の行動には 大人らしい意見をタラタラ述べる


いいのかなぁ


私が子供の頃に出逢った「おとな達」は もっと、おとならしかったし
どこか尊敬できた

そんな彼らをお手本に、大人になった私が今度は、子供達のお手本になれればいいなぁと
日々の行動・言動を 気を付けている


おとなは大人らしく
こどもは子供らしく


かな?




懐かしのポスター発見!!
                


wakame


2015年11月24日火曜日

昭和の懐かしい鉛筆削り

ロンパージュームさんの「ブラックリール」
昭和の釣りの思い出かと思い、読み進めると
まさかのオチが待っていて
爆笑してしまいました。

ぼくは学生時代に、主に「ナウイ」を連発していた恥ずかしい記憶があります。

ロンパージュームさんの楽しい学生時代の話から繋げて
学生のときに使っていた懐かしい物に
スポットライトを当ててみます。

「昭和の鉛筆削り」


!? 調べてみたら、今でも売っていました。
今使っている方、売っている方、申し訳ございませんでした。

昭和生まれ昭和育ちの方々には
学生時代の思い出になっているかと思われます。

物は軽くてコンパクトがいいと言われることが多くなっていると思いますが
昭和当時、大きくてカッコいい鉛筆削りを持っている男子は
注目されていました。

今の小学生は鉛筆を使っているのでしょうか?
シャープペンシルの方がエコに感じますが。

つくづく昭和の時代と物とは
切っても切れない関係だなーと感じます。

物を見ただけで、その頃の思い出が
懐かしく蘇ったりします。

物も思い出も大切にしたいですね。


bukidai



 
 
 
 
 

2015年11月20日金曜日

BLACK REEL (ブラック リール) 昭和の死語



毎年 この頃になるとその頃の流行語大賞など・・ その時代に即した言葉が発表されますね。 
そして そう言った言葉はいつの間にか 死語として扱われるようになります。


”アベック” なんかが そう言った部類の言葉だそうです。 まあ私なんか 通常へっちゃらで使ってますけど・・・(もしかしてヘッチャラも死語??)  あと ”ナウイ” 凄い言葉ですよね! 新しいのにもう古い 全然”ナウくない”と 言った具合ですか?

”チョットタンマ” も死語らしいです。何もも話す言葉がなくなってきた・・・ 普通につかってる


チョット俗が掛かった言葉で ”マブイ” とか ”ツッパリ” 

欽ドコ

〇 オイ お前 随分ツッパッテルじゃね~か 【そう さっき 棒のんだんだヨ】   ヤヤウケ!

   見たいな時代もありました。


でも 私の中での死語は 何と言っても 【ブラックリール】
 
私の通っていた中学校は 本当に田舎にある 平和な学校で 朝から確りとクラブ活動の掛け声が爽やかな学校でした。私 高校進学は実はなんと 4校も受験し 嬉しくも寂しくも最後の滑り止めの 公立学校に入学しました。 まあそれが今考えると 大正解みたいな楽しい場所でしたが。

一様クラブ活動もそこそこ盛んで・・・ 

同じ田舎の中学から 行っていた友達が 帰りがけ一緒になり「おっ 今日は早いねクラブないの」と聞いたら タカ(ニックネーム)が 今日は ”ブラックリール” なんだ って 言うんです。

そのころマブイとか ハクイとか なんかそんな 俗語を聞いて 新しい世界を満喫していた時期でして・・・  おっ ”ブラックリール” なんだ なんて 返答してニコニコして帰った記憶があります。

数日 ブラックリールでした・・・ ブラックリールななんか 楽しい・・・
でも 現実に目覚めるとそれは なんと 「ばっくれる」だったんです。 つまり サボって帰るの意味だったのです。

私達の 中で 数日間で死語になった ブラックリール どこかで使えるかな~


ロンパージューム


2015年11月17日火曜日

昭和の心・子供の持ち物

最近のニュースで マッチを扱う事の出来ない子供が多いと取り上げられていましたので、今回はマッチの話で昔を思い出してみました。

私にとってマッチは頃憧れの一品でした。
毎回ではありませんが、マッチを持って出かける時は銀玉鉄砲とボンナイフを一緒に持ち歩いていた事が多いような気がします。(ボンナイフという名称で良かったのかな?)

小学生の頃 親の目を盗んで持ち出し、ただ火をつけるだけで楽しかったマッチ。
家の中でもマッチ棒を1本2本と動かして形を変えるようなゲームをやったり、マッチ棒を重ねて塔を作ったりと昔はマッチが身近だったけれど 最近はマッチを手にする事が本当に無くなってしまってちょっと寂しいです。

そんなマッチの中でもどうしても欲しくてやっと手に入れたのが、硬くてザラザラしたところで擦ると火がつくタイプと先端にロウが塗ってある防水マッチ。どこでも擦ると着火するマッチはお気に入りで、遊びに出かける時には必ずポケットに忍ばせていたような気がします。
防水マッチは大人になってもキャンプに出かける時などは必需品として必ず持って行っていましたが、大切にしすぎて使う事が出来ず、いつもバッグの中にしまい込んで 最後には劣化して終了という事が多かった・・・。

たかがマッチ、されどマッチ いまでもマッチ専門店などはあるようですが、残念ながら衰退しているのが現状のようですね~ あの頃は子供でも結構危ない物を持ち歩いていたけれど、今の時代は危ないと言われて子供達が経験する場所と機会が少なくなってしまっている事が可愛そうに感じてしまいます。

これから出会う子供達には少々危ない事でも昭和スタイルを継承しなくては!とあらためて自分に誓ったオジサンでした。 

「マッチ一本火事の元」

2015年11月13日金曜日

こんばんは  あさなぎです。

子供の頃、郊外型の大きなファミリーレストランはまだありませんでした。
その代わりに、ハレの日に行ったのがデパートのお好み食堂です。
当時住んでいた北浦和にはデパートはなく、二駅先の大宮の高島屋が
唯一のデパートでした。
デパートの地下に下りると、お寿司、ラーメンなどの中華、ハンバーグなどあらゆる
メニューが並んでいました。私のお気に入りはモチロンお子様ランチ。
そう、ケチャップライスに旗が乗っている、ニクいヤツです。
それともうひとつのお気に入りが、ホットケーキです。
当時のお好み食堂は、カジュアルになったファミレスとは少し違っていて、
子供でも、背筋をちょっと伸ばして行く、ワクワクする特別な場所でした。

近年、デパートのお好み食堂はどんどんお洒落になって、有名店がひしめく
レストランとなっています。これもまた、ある意味敷居が高いです・・・・。

北浦和にあった、元祖ファミレスは恐らく、『正直屋』。
化粧品に手芸、書籍などの物販からレストランという、多角経営です。
書店の2階は、鉄板焼き、お寿司、中華とコーナーごとに別れており、
お好み食堂とはまた少し違った味わいの、ステキなレストランでした。
まだ、北浦和に『正直屋』はあるのかなぁ。
どなたか、ご存知ありませんか?


2015年11月10日火曜日

昭和のテレビ番組 禁断の大冒険?

昭和のテレビといえばアニメも今とは違って内容はシンプルでした。
今のアニメは内容が巧妙で子供向けのアニメは少ない気がします。
当時は、アニメとは言わず、マンガと言っていたような・・・・
6時頃各局ニュースの時間に何故か東京12チャンネル(現在のテレビ東京)は、マンガの国(どっちが先か『キットボックス?』)という海外で放送されているアニメを放送していた。
チキチキマシーン猛レース・冒険少年シンドバット・スーパースリー・大魔王シャザーン・ポパイなど。
今でも挿入歌を歌えたりします。
する事が無かったと言えばそれまでですが、何故か毎日観てました。
アニメ以外には、『8時だよ!全員集合!』・『コント55号』などなど・・公開生中継をお茶の間で家族揃って観ていたもんです。
今は、家族揃ってインターネットを閲覧する!    なんてこと無いですよね。
そんな幼少時代を経て小学生高学年か中学生に成るかならないかの頃。
深夜にHな番組をやっている事に気づいたのか、友達に聞いたのかは定かではないが、こっそりテレビを観た。11PMだ。
「イレブンpm」の画像検索結果

おおお~ 凄すぎる(・・;) 良いのかな~  とにかくびっくりした。

それと同時に罪悪感も覚えた。 これは観てはいけないものだと・・・・

そして更に『独占おとなの時間』他の番組とは比べものにならない位H。 いや『エロ』かった。

これは、罪悪感よりも欲望が勝り、なんとしても観たくなってしまった(投稿していて恥ずかしい)。

確か、土曜日の深夜0時位の放送時間だったような・・・

この頃家族も寝ている時間帯だ誰もいない居間に忍び寄り、明かりも付けず、うす青く光るブラウン管の前でボリュームを絞った状態で視聴していたのだ。

ただ怖いのは、最初にテレビの電源を入れる時だ。
ボリュームを絞った状態でスイッチを入れてしまうと深夜の静寂を打ち破るかのような大音量で始まるのだ。ただでさえ心臓バクバク状態のところである。心臓発作になりそうなのだ。
次なる試練はまだある。
丁度、目的のチャンネルになっていれば良いが6チャンネルとか中途半端な場所になっている事が多いのだ。
今のようにリモコンで番号を押すだけではなく、ガチャガヤチャンネルというダイヤルを回さなければならないのだ。
今の若い方には分からないと思いますが、静かな部屋でチャンネルを回そうものなら結構な音が響くのです。

それで手に力を入れ音が出ないように慎重にチャンネルを回すのです。

ようやく目的のチャンネルに到達し、ワクワクしながら番組が始まるのを待つのです。

時には、既に始まっている場合も有りますが・・・

しかし、まだ恐怖の試練は待っているのです。

物音にも気を配らなければならないのです。

そうです。家族の誰かがトイレに起きてくる時があるのです。

そんな時もテレビのスイッチを音が出ないように切るのです。

トイレから出た後、物音がしなくなってもしばらくは暗い居間でじっと待っています。
直ぐにはスイッチを入れません。

頃合いを見てスイッチオンです・・・・

番組終了してしまっている時もあるのです。

まるで、泥棒か、007か。
こんなことしてまでやるかよって感じでした。

昭和を振り返っていたらこんな事を思い出してしまいました。

こんなことしてたの  私だけ??



2015年11月3日火曜日

「昭和の食堂」 と ホットな想い出 ♪



記:wakame wakame


童謡歌いましたね・・懐かしい♪

小さい頃には、幼稚園の先生と一緒に
手遊びつきで覚えたり

大人になった今、知り合った子供たちとの距離を縮めるのに
効果大の童謡・・♪♪  たちまち仲良くなれるし・・(^-^)

まぁ、でも今の子供たちは童謡と言うより 
TV主題歌などの方が詳しいのかもしれないけど・・。
そっちは、全然解らないから困りもの  

アンパンマンでいいかな?


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「昭和の食堂」と・・・

あまり外食をしなかった家族だったので、そんなに小さいときからの記憶
というのは、無いのだけれど 「昭和の食堂」というとこんなイメージ

食堂というより、どちらかというと鮮明に覚えてるのは「働くおじちゃん」との出逢い

たま~に、父に連れられて食堂に行くと、
必ずといってよいほど工事現場のおじちゃんたちがいて
お昼ごはんを食べてた


皆、自分の家のようにリラックスしてて
水をセルフで入れたり、手を洗って、
タバコすって、仕事の会話して
ワイワイガヤガヤ愉しそうにお話しながら、

美味しそうに「アジフライ定食」や「ラーメン」や「カレー」 などを食べて^^
食べ終わると、大きな声で「ごちそうさま~~」って言いながら、

楊枝くわえて のれんをくぐって帰っていってた


なんか、それ見てて嬉しくなったのを覚えてる
「働くおじちゃん」がまぶしく見えたんだな きっと・・

なんでだろう。。。
しかも、今でも時々その時の自分の気持ちが鮮明に蘇る

汗水たらして、炎天下のしたで真っ黒に日焼けして働いている
「貪欲」で「まっすぐで」 「生きる強さみたいな」もの?を感じたのかな



今という時代が、あまりにもクリーンで合理的で冷たさを感じてしまうから
余計に、あの時の「働くおじちゃん」とのホットな出逢いが
まだ思い出されるのかもしれない

虚無感・空虚感を感じる現代で、時々想い出される昔のホットな記憶を
持ってて良かった。。。 ちょっと強く前を向いて頑張れそうな気がするから



食券はやっぱりこれでしょ






wakame



2015年10月29日木曜日

昭和の心 童謡

ロンパー重ムさん
そうですね。「昔は良かった!」
多くの人が口にする言葉だと思います。

以前なにかの本で読んだことがあるのですが
「過去は変えられないと言われていますが
実際は過去は変えられる!」
と書かれていたのをなんとなく覚えています。

その意味は
過去に起こった出来事自体は変えることはできないが
辛い思い出を楽しかったと思い直したり
今思えばそれが結果的に必要な出来事だったというように
することだったような気がします。

過去をプラス思考で良い思い出に変える。
逆にマイナスに変えることもできますね。

心の健康を思えば
過去を良い思い出にしたほうが
幸せかもしれませんね。

さて話がかわりまして
昭和の思い出深いもののひとつに
「童謡」も欠かせないのではないでしょうか?

どんぐりコロコロ
かたつむり
夕焼けこやけ

他にもたくさんありますが
耳から入ってきた昭和の思い出です。

まだまだ貧しかったころの昭和の時代に
みんなで歌を歌って元気を出していたりも
していたのではないでしょうか?

いいものは未来に残されていきます。
日本人にとって大切な童謡は
未来に残っていってほしいものです。

bukidai

 
 

2015年10月23日金曜日

お前老けたな!お前も同じぐらい老けたな・

“いや~ お前老けたな・・・”  

その挨拶の返答は “お前も同じぐらい老けた・・・な” が 正しいようです。

人は誰でも自分だけは永遠に変わらないと信じているらしいです。 勝手なものです・・


年寄りは “いや昔は良かったが”定番の口癖といいますが それもまた理由があるようです。このブログのタイトル【昭和の心 プラス】も昭和を題材にして話題を作っていますが、“良き昭和の時代”のコメントが多いですよネ!その理由は 変わらない何かをどこかで望んでいるらしいです。もうすんだ過去は変えようがないですからね。何とでも良いイメージを膨らませる事もできると言う訳です。

年寄りは もう変わるのが 嫌で嫌でしかたない・・ 体は痛くなるし 皺は増えるし 直ぐ疲れるし・・ だから変わらない 時代に思いを馳せるのだと・・・か?アメリカ映画や日本映画もそうですよね 主人公は永遠なんです(変わらない自分) そんなはず無いのに そして自分以外は全て撃ち殺してしまうんです。回りは 変わったり 死んだりする でも自分は死んだり 変ったりしないのです。まあ手を合わせていれば変わらないと思っている人も世の中にはいるようですが・・・ 

それが 映画のヒットには欠かせないキーワード “自分だけは変わらない” 永遠だと  映画だけならいいけど 実際にも それをやってるから驚きですよね! 人をやたら撃ち殺してどうするんでしょう?


それで 今日はあえて 昭和で嫌だった事を なにか考えようと思いました。でも難しいいですね。 もう終わっちゃったから 嫌だとかいまさら言っても仕方ないし 後悔みたいだし・・ それに 人間嫌な事は結構直ぐに忘れられるから?

ペットを確りと管理できなかった ペットを幸せにして上げられなかった・・ 
いじめを止めれられなかった・ 仲間はずれは嫌だった・ 寝小便が止まらなかった・ 馬鹿な事をして親に迷惑をかけた・ 昭和に限らず 今の時代でも直さなきゃいけない自分の事とばかり・・・(寝小便は止まりましたが・・) 昭和が その時代自体が 実際なにか悪かったなんて言えないくらい 社会的には幸せな時期だったのかもしれません・・・ まあこれは私だけの見解で 終戦を体験なさった方は もしかすると社会的に嫌な部分もあるのでしょう おそらく



変わって行く時代 変わって行く自分を見つめて歩いていかなくてはならないと思うこの頃です。 


ロンパー重ム




貴方の同級生もあなたと一緒 歳を取る

2015年10月20日火曜日

昭和の心・はじめての大きな買い物?

自分の昭和を考えてみると小学生の頃の記憶ばかりが出てくるのはなぜだろうか?
確かにたくさんの思い出が残っているのですが、初めての経験が多かったので新鮮で鮮明に残っているからでしょうか。

生まれて初めての大きな買い物(買ってもらった)が自転車だったと思います。

自分の行動に大きな変化をもたらしてくれた自転車。
自転車に乗れるようになったのはいつだったか忘れてしまいましたが、小学生の頃は学校が終わると毎日自転車でどこかに出かけていました。

今まで何台の自転車を乗ったのかも忘れてしまいましたが、手に入れた自転車の中でも記憶に残っているのは2台、そのうちの1台が「シンクロメモリー」 なぜこの自転車が欲しかったのか?志村けんさんがCMに出ていて、それにヤラレテしまったのかもしれない。(当時志村さんは凄い人気だったし)

当時人気だったのはウインカーがついている自転車とスーパーカーライトの自転車だった気がするが、買ってもらったのはシンクロメモリーだった。(果たして自転車名だったのか?)
この自転車は私の行動範囲を大いに広げてくれて大活躍してくれたが、いま思い出してみると「シンクロメモリー」って何だったのか?まったく理解していない事に気づいた。

今回この自転車を想い出してあらためて解った事は「形から入るのは子供の頃から変わっていないんだな~」という事でした。

しかし、何だったのだろ?シンクロメモリーって。
後で調べてみよう


waka

                     お洒落な自転車が多くなりました。

2015年10月17日土曜日

あそび

こんにちは あさなぎです。

平成になって27年。人生の半分以上が平成です。早いものですね。
でも、昭和はいつまでも懐かしく心の中で温めている大切な時代です。
子どもの頃の遊び場は公園や小山。
住宅や団地の側には未造成の小山のようなものがあって、
子どもたちの格好の遊び場でした。
今ではあまり見かけませんが、段ボールなどで
秘密基地を作ったものです。
天気の良い日は、公園では雲梯や登り棒、箱ブランコで遊びました。
箱ブランコは何年か前に不幸な事故が起き、危険ということで
公園から撤去されてしまいました。
たしかに大きく動かすと足を挟むこともありましたが、
当時の子どもたちはその危険を上手くかわしながら、上手に遊んだものです。
身体を動かす遊びで、全く危険のない遊びってあるのでしょうか?
危険だからといって、それらを排除しては危険を察知する能力が
育たないような気がします。
禁止するのではなく、遊び方を考えさせる、余裕が今はないのでしょうか。
日本は確かに裕福になり、様々な分野で技術革新が進んでいるのに、
どこか心は貧相になってはいまいか、そんなことを感じます。
雨の日は、家でボードゲーム。人生ゲームやバンカース(いまはモノポリー)。
人生ゲームは、非常にシュールです。
童心に還って、人生ゲームをしてみませんか?





2015年10月13日火曜日

小学生時代の我家の恥ずかしい出来事

昭和40年代の頃今のようなファミリーレストランなどなかった時代。

その頃は、ファミリーレストランと言った名称さえなかった。

我家では『ドライブイン』と言っていました。

また、すし屋等めったに行く事さえなかった時代。

お客さんが来客した際出前を取ったりする位で、家族だけで出前を取る事などよほどの事がない限り食べられなかった贅沢な食事でした。

そして、レストランと言えばデパートの最上階にあるレストラン。

年に2~3回行けるくらいでした。

子供の頃、デパートに行くことは一代イベントでした。
デパートのレストラン街へ行きお子様ランチとクリームソーダを頼むのが取っても楽しみでした。
うまく行けば、おもちゃも買ってもらえるかも・・・・
とても楽しいイベントでした。

そんなある日、我々家族でデパートのレストラン街で何故か中華レストランに入ることになった。

近所にある『中華屋』ではなく、ウエイトレスがチャイナドレスを着てオーダーを聞くようなお店でした。もちろん円卓で中央の部分が回転するテーブルです。

席に着くと小さな湯飲みでお茶を出されました。

父がおもむろにお茶を飲むと、すかさず仁王様のような顔で『何だ!このお茶ちゃんとすすいでないぞ!!』と怒り出しました。

母もお茶を飲むと『本当!!洗剤落ちてない!!』私も試しに飲んでみると『ママレモンが残ってる!』と家族中で大騒ぎ。

母が店員を呼びつけ、『ちょっと~湯のみちゃんとすすいでないわよ!』と感じ悪く文句を言った。

店員:『・・・・・・・』参ったな~と言った表情。

母:『取り替えてください』

店員:『このお茶はジャスミン茶と言って中国の香りのあるお茶なんです』

家族:『・・・・・・・・・・』

父:『そういうお茶なんだって~ ハハハハ』周りを気にしながら誰に言ったか分からないが父が発言した。

家族: 真っ青

子供ながらに恥ずかしかった事を覚えてます。

しかし、今となっては楽しい思い出です。

昭和ならでは的なエピソードです。

今では、和食・中華・洋食と当たり前のように手軽に食すことが出来る時代になり幼児でさえ、トロ食べたい等色々なメニューを知っています。

子供の頃の私には想像も付かない状況です。

これが良いのか悪いのか何ともいえませんが、昭和の時代はとても懐かしくそして、何ともいえない良き時代に思います。

今に比べると家族とのふれあいや暖かさを感じます。

今日では、何でも揃って便利な世の中ではありますが、個別の楽しみはあるようですが、家族単位の暖かさが減少しているような気がします。

こんなこと思っているのは、私だけ~

2015年10月9日金曜日

昭和の天気予報♪ 



記:わかめ・わかめ☆



銭湯よく行きました
実家のそばに1軒有ったので、実家に帰ると じーじと息子そして旦那さんが

ばーばに用意してもらった洗面器と、石鹸と、タオルを持って出かけて行き
1時間くらいすると、ぽっかぽっかの顔をして帰ってきてました (笑)

そこには「朝鮮人参風呂」がまぁまぁ有名で、
通称「にんじん風呂」 (おっと、そのままだ・・)

その「にんじん風呂」、もんのすごく熱いのを覚えてます。。変なにおいもするけど
なんでか、体に良さそうな気がして 子供のくせに、さら湯より好んで入ってました へへ

42度なんて、今思うとめっちゃめちゃ熱くないですか?

シャワーなんていう、便利なものでチャッチャッチャっと お風呂タイムを終わらして
しまっている最近ですが、今宵は、42度設定で入浴剤とか入れて銭湯気分を再現してみよっかな

・・・ あ。お風呂上りはもちろん 「パンピー」で  ^^




「ヤン坊 マー坊天気予報♪」

最後まで歌えます? 
ん~ 結構怪しいけど、途中までなら・・・

昭和の天気予報といったら「ヤン坊 マー坊天気予報」でしょ~~
と、すっかり 昭和だけのものだと思い込んでいましたが

なんと、2009年~2014年3月まで 放送されていたんですね
限られた地域でしたけど、つい去年まで

55年の長い間、昭和と平成を駆け巡った天気予報というわけですね
どっちがお兄ちゃんだか知ってます?(笑)

今でこそ、気象予報士の方々がめっきり増えて
お天気お姉さんや、「○○の天気予報」なんて 色んなお天気番組が増えてますが、

自分のお父さんくらいの年齢の方(気象予報士さん でしょうね・・きっと)が
棒を持って、地図をさしながら 明日のお天気を伝えていた「ヤン坊 マー坊天気予報」

妙に説得力がありました
「あ・そうか、明日は雨なんだ」 ってな感じ


説得力・・・ いつまでも忘れない・・・ 耳に残る・・・ また、ふっと思い出す・・

今の忙しい時代でも、
「懐かしの何か」 って 数年経った後に存在するのかな

何も考えなくても、困らずに一応は生活できる今、
便利で、早くて、みんな忙しくて

昔も変わらない24時間は流れていくけど
無感動で、無関心にだけはなりたくないと思ったりして


失礼しました☆


by wakame









 

2015年10月6日火曜日

昭和の飲み物(銭湯編?)

ロンパージュームさん

無言電話の話、すごくわかります!
僕の場合は父上様の圧力に負けて
小さい声で話し始めてしまうので
無言電話にはなりませんでしたが。

そういえば
「娘はいない!」って言われた場合は
本当にいないんでしょうか?

あの電話を思えば
今ならどこに電話をするのも怖くありませんねー。

終わった!あとの時効3週間は
ほぼほぼ僕と同じくらいです。

昭和の時代の方々は
そういった鍛え方もされているのだと感じました。

「父上様を経由しないで話ができる!」
「しかも緊張して本人に直接話せないときはメールでも伝えることができる!」
なんとも素晴らしい時代になりました。


あさなぎさんの投稿から
銭湯といえば?上がったあとの飲み物!
と思い出し、考えてみました。

フルーツ味やイチゴ味も人気でしたが
僕はコーヒー牛乳が一番好きでした。
大人のフリをして飲んでいたのを覚えています。

瓶ってゴミにもならないですし
とてもいいと思います。
紙パックより冷たいので
お風呂上がりにおいしく感じます。

ぼくはコーシン牛乳で育ちましたが
調べてみるといろいろあるんですねー。

街の銭湯に僕も行ってみたくなりました。


Bukidai


2015年10月1日木曜日

ピッ ポッ パッ の響き |昭和の ぴっ ぽっ ぱっ



   「ピッ ポッ パッ」


池田の家 プッシュホーンだってヨ ! エッ 放課後見に行こうぜ・・・  電話にボタンが付いていて なんでも 「ピッ ポッ パッ」って鳴るんだってヨ・・・ 嘘だろ~ なんて・・・ 耳に当ててボタンを押すと 本当に鳴るじゃん スゲ~じゃん なんで・・・・ 

今の子供達に言っても この驚きは恐らく理解出来ない??? タブレットが腕時計になった なんてレベルの驚きじゃない・・・ 相手はプッシュホーンだ!!! チョット クリームがかった黒電話のボディーに 白い 飛び出たボタンが付いてるんだから驚き。
本当にあるんじゃん ボタンが付いた電話!

そんな 時代でしたから・・・ 
勿論 今の携帯電話なんて007の世界ですね・・・ 下敷きを長方形に切って 鉛筆付けて 「ハイ」なんて 本当に言ってたんです 私・・・ きっと僕だけじゃない 今だから 1人1台の電話の時代だけど 各家に1台あるかないかの時代ですから・・・



世の中の お爺ちゃん(その頃のおじさん) 無言電話の 20件?位??? の犯人は 私です。スミマセン!!!!  だって怖かったんですから 電話するのが もう心臓が止まるか止まらないかのところで 低い声で「もしもし」なんて あ~ 嫌だ 言葉がでない・・・ 終わった・・・ 当分 終わった(時効は3週間)・・・・ 好意がある子の家に電話するですね。時には家から1人で 時には公衆電話に3-4人入って 静かに あの電話の呼び出し音を聞くんです。 


今の子達に言わせれば 「さゆりさんいますか」でいいじゃない って言うかもしれませんが・・・・そりゃー 私だって 何度と無く 正当な手段で トライしましたよ でも 「何の用だ」 エッ 何の用と言われても まさか お嬢さんが好きですとも言えないし・・・ 言ったら最後 お前 今から殺しに行くとか言われちゃうでしょ・・・きっと! その位お父さん怖かった 勿論オッサンなんて言葉は無かった・・・ 

でも お母さんがでると テストで20点の気分ですね。チョット待ってネ なんてつきなみに言われて 戻ってきて なんか親戚と遊びに言っちゃったみたい なんて・・・ その次に電話すると 今度はその半分の10点の気分 今度はお風呂に入ってるみたいって・・・ 「ハイ もう 10点で十分です・・・」 一桁はプライドが許さない。

あ~ 昭和の電話 なんて 切ない響きだ! ピッ ポッ パッ は何処までも 一桁のテストに 近い響き


ロンパージューム



2015年9月29日火曜日

昭和のブーム

いつの時代も様々なブームはありますが、子供の頃に流行ったモノの中に「スーパーカーブーム」がありました。

そのブームが捲き起こったのは小学5,6年生のころでした。
その頃は誰もがBMWでさえもカメラで写真を撮っていたのを覚えています。(私だけかな?)
当時スーパーカーを間近で見る事が出来るとしたら親戚の家の近くにあった「ポルシェ」で、その他のランボルギーニ、フェラーリ等は偶々通りがかるショーの為に運ばれているトラックの上か 保管されている倉庫で遠くからチラッと見えるくらいで目の前で見ると言う事はありませんでした。

しかし、その車を見るためにだったらどこまでも自転車を走らせていた事を思い出します。
子供達のネットワークで情報が回っていたのですね~ 「どこどこの倉庫にミウラとイオタがあるぞ~」 と。
ガセネタも非常に多かったけど、スーパーカーを見た時は最高に興奮しました! しかし いま想い起こしてしてみると、たとえ辿り着いた先の倉庫に車が1台も無くてもその時に皆で走り回ったその行動自体が楽しかったような気がします。

歳をとると大人の事情が見えるようになるので「スーパーカーブーム」の裏側の情報がチラチラ聞こえてきますが、そんな事はどこかにやって忘れてしまいましょう!
忘れてはいけないのは 「モノに対する憧れ」 があると言う事ではないでしょうか?
手に入るモノ、手に入らないモノ 様々ありますが、そのモノへの想いを描きながら生活するという事は楽しい事ですから、その想いをもう一度自分の中に目覚めさせて楽しもうとおもいます。

スーパーカーブームの時、結構 な大人達も騒いでいたような気がしますが、どうだったんだろうか???



 waka

2015年9月26日土曜日

銭湯

こんにちは。あさなぎです。

最近、勤務先の関係で銭湯を見る機会がありました。
見かけないですよね、近頃。子供の頃はどの町内にも一つくらいはあったのに。

銭湯には、のれんをくぐるところから、「お世話様」と番台のおばさんに
帰りのご挨拶をするまでに、たくさんの約束事がありました。
銭湯はいわば社交場。ご近所の皆さんが気持ち良く過ごすための
たくさんの教えがありました。

身体を洗ってからでないと浴槽に入ってはいけないとか、
浴槽のお湯をむやみにぬるめない。自分が使った風呂椅子や桶は
きれいに洗い元あった場所に並べる。脱衣所を濡らさない.... 

それは、暗黙の約束事項である他者への心遣いでもあります。
そして、できないと、銭湯のほかのお客様からおしかりを受けることになる。
地域で子育てとか、かっこいい言葉でくくるのではない、真の教育だったのかも。
昔の銭湯には、ほとんどのことがパーソナルになってしまった現代が失ってしまった、
本来は大切にしなければいけないものが、たくさんつまっているように思います。

そんな銭湯の私の一番のお気に入りは、コイン式のお釜ドライヤー。
スイッチを入れると熱風がものすごい勢いで噴出して、
すべての髪がゴーッと巻き上げられる......
また、あれで乾かしてみたいなあ。


そうそう、横浜・元町にも各丁目に銭湯があったそうですよ!


2015年9月23日水曜日

朝ごはん

こんにちは、武井です。

私が生まれたのは、昭和39年です。
東京オリンピックが開催されたり、高速道路や、新幹線など日本が躍進している真っ只中です。
そのころの日本の朝食は、焼き魚、大根おろし、納豆、お味噌汁、漬物など・・・
これが毎日朝の食卓に並んでいました。
それと、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、兄弟、家族全員が同じ時間に食べていました。

そんなある日『ケロックの朝ごはん』をTVCMで観て母にねだり買ってもらった思い出があります。
当時は、今のビックなパッケージではなく、一回分の量で片手で収まるような小さなパッケージでした。
牛乳も紙パックなどなくビンでした。
そして次の朝、牛乳をかけて食べた。
何故かTVCMの外人の子供が使っていた洋風食器はなく、どんぶりにケロックでした。
ご飯と違い、パンチが無く満腹感が得られなかった・・・
そんな思い出があります。

何気に通り過ぎた朝の一コマですが、思い起こすととても素敵なひと時の気がします。
食卓に並ぶメニューも身体によさそうでした。家族全員と言うのも最高でした。
今となっては、全く考えられない朝の一コマです。

最近は、加工された食品や調味料と言うより、既に配合された食材と一緒に調理すれば簡単に中華風、洋風料理が下ごしらえ無で簡単においしく出来てしまう○○の素があります。

家庭の中でもファミレスと同様の料理を食べている感じです。
家庭の味がなくなっていrます。

昔は、おばあちゃんからお母さんへと味が引き継がれていましたが、現在は核家族化の影響でその味も引き継がれていない感じです。

昔は、調味料と言えば味の素、いの一番、ハイミー位でしたかね~。

今の食品には、防腐剤なるものが入っているようです。
そのため、現在では昔に比べて、死体の腐敗が進みにくくなっているそうです。
人も毎日食品から、防腐剤を食べているために腐りにくくなっているそうです。

ちょっと怖いです。

コンビニのおにぎりに関しては、油べとべとです。
おにぎりを製造する過程で機械にご飯つぶが付かなくするためだそうです。

買い置きもでき、短時間で調理できサクッと食事を終わらせる。

困ったものです・・・・。

時代がハイスピードになって来た事が原因でしょうか?

昔の朝は、ゆっくり、ゆったりしていたような気がします。

あのころが懐かしい今日この頃です。

もう少しゆっくり時間が流れるようにならないものですかね。

2015年9月22日火曜日

昭和のお彼岸



記:わかめわかめ


bukidai さん! 実は私も朝礼では倒れたひとりでした。今では想像もつきませんが・・笑
忍耐の「に」の字も無かったのでしょうね。トホホ

今は、年齢を重ねた分、「にん」くらいは身に付いたかな? 笑



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そろそろお彼岸ですね
春のお彼岸と、秋のお彼岸が ありますね

なんで、2回も有るのでしょうね
ちょ~っと「お彼岸に関して」 調べてみました ^-^


お彼岸は仏語のようです

煩悩や悩みにあふれた私たち人間が住む世界を此岸(しがん)といい、此岸に居るものが
「六波羅蜜」 の6つを修行することで、彼岸に行くことが出来るといわれていて

その修行は、太陽が真東から昇って真西へ沈む春分・秋分の日を中日として前後3日を「彼岸」
と呼び、この期間に修行をすると良いとされていたようです

だから、「春・春分」と「秋・秋分」の2回 お彼岸があるようです


仏教といえども、遠いインドには無い風習で、
お彼岸にお墓参りをするのは 日本の慣わしのようですね

お供え物は「ぼた餅」「おはぎ」 
春は「牡丹餅」 秋は「お萩」

まったくもって美しい風習です



私も幼少期には両親に連れられて「お墓参り」をしていました
「お墓参り」を終えた後は、何故か心がすっきりと清く感じたのは、一体何だったのでしょうね

ご先祖さまを大切にしてきた日本の風習
「お墓参り」のスタイルも、昭和の時代と、平成の今の時代では少しずつ変わってきているよう
ですが、「ご先祖さまを大切にする心」は、変わらず持ち続けて行けたらよいなと思います

そして、後世の子供たちにも その、「美しい日本の心」を 伝えて行けたら良いなと思います









彼岸花:曼珠沙華
花言葉は「独立・情熱・再会・あきらめ」
どことなく寂しげですね



wakeme * wakame




2015年9月16日水曜日

昭和 精神論 根性論

ロンパージュームさん
オープニングありがとうございます。
かなり共感できます!

あの朝礼は何なんでしょうねー。
間違いなく昭和のひとコマです。
The 忍耐。

僕の通っていた学校では
実際に暑さで2.3人が倒れたのにもかかわらず
話を続けていた先生様がいらっしゃいました。
The 豪腕。

周りにいる他の先生に
「おいっ!まだ話すんかい!」
って突っ込んでほしいものです。

その先生様も学生時代は
長話をお聞きになられていたはずなのに
お忘れになったのでしょうか?

でもその立場になった先生は
きっと心底いい話をみんなに聞かせたいと思い
事前に頑張って考えていたりするんでしょうね。

忍耐!我慢!

昭和の時代は
精神論 根性論 の時代だったと
思い起こさせていただきました。


話はまったく変わりますが
刻々と東京オリンピックが近づいております。

競技以外の報道が多く
残念な感じがします。

子供や若者がもっとワクワクするように
盛り上げたいですね。


bukidai

2015年9月15日火曜日

昭和の忍耐 ?

あ~ どうでもいいけど長い・・・ どうにかならないのかな・ 気が狂いそうだ。
それにしても可笑しいな 確かに朝 鞄に入れたのに 「まあイッか」どうせ今日出してもどうせ余り相手にされてないし・・・ でもな~ みんな出してるし・・・ 実は出したって嘘付いちゃったりして? でもそんなの奴には通用しないよな~・・・ 
あれ~・・・左隣のあいつ名前なんて言ったかな?今朝 新しい自転車乗って来てたよな ああ言う奴結構な金持ちなんだよ! あの手の自転車 結構高いし この辺の自転車屋じゃ見たことない。チョット帰りに乗らしてもらおっ・・と 

「それにしても長いな・・・」 手もなんか冷たくなってきたし チョットホケットに手を入れた あっった昨日のプリント宿題!・・・ しかもまだ白紙! ウァ 

「みんなも協力してよい大人になるように」と声が聞こえた。だろ最後は・・・そんな事なら 最初から1行言って終わってくれヨ・・・


といつもの様に朝礼の挨拶・・・ 毎週 倒れそうでした。
ブキダイさんにお褒めを頂いたのでチョット調子に載ってこんな始め方またしちゃいました。「小森のおばちゃま大好きよ」こう言うの??? 聞こえなかったですか

実は皆良く我慢してるなって 真剣に凄いと思っていたんです。私は本当にあの時間気が狂いそうでしたから・・・ あっ 実はもうそれが原因で気が狂ってるんだ・・・ 気が狂うと自分でも分からないっていうし 朝礼のせいだな~

最近の子供達って切れやすいって言うじゃないですか・・ 昭和の人たちはきっとああいう所で忍耐を鍛えられていたんだなっと 勝手に思っています。今も ああいう挨拶長いのでしょうか・・・ そうだったら全く関係ない 笑

昭和の人間の忍耐が今の時代を支えています。高度成長時代を支えたシニアの人たちの忍耐に脱帽です。そして 朝礼の時我慢していた 私にもチョットだけ脱帽・・・というより私は少し脱毛・・・? すみませんでした。 おじさん引っ込みます。

若者・・・ 朝礼は長いのは何故なんだ・・・ 全く意味不明な投稿ですみません。



ロンパー重ム





昭和のマジック塗り薬 あなたは どっち派?