2015年10月29日木曜日

昭和の心 童謡

ロンパー重ムさん
そうですね。「昔は良かった!」
多くの人が口にする言葉だと思います。

以前なにかの本で読んだことがあるのですが
「過去は変えられないと言われていますが
実際は過去は変えられる!」
と書かれていたのをなんとなく覚えています。

その意味は
過去に起こった出来事自体は変えることはできないが
辛い思い出を楽しかったと思い直したり
今思えばそれが結果的に必要な出来事だったというように
することだったような気がします。

過去をプラス思考で良い思い出に変える。
逆にマイナスに変えることもできますね。

心の健康を思えば
過去を良い思い出にしたほうが
幸せかもしれませんね。

さて話がかわりまして
昭和の思い出深いもののひとつに
「童謡」も欠かせないのではないでしょうか?

どんぐりコロコロ
かたつむり
夕焼けこやけ

他にもたくさんありますが
耳から入ってきた昭和の思い出です。

まだまだ貧しかったころの昭和の時代に
みんなで歌を歌って元気を出していたりも
していたのではないでしょうか?

いいものは未来に残されていきます。
日本人にとって大切な童謡は
未来に残っていってほしいものです。

bukidai

 
 

2015年10月23日金曜日

お前老けたな!お前も同じぐらい老けたな・

“いや~ お前老けたな・・・”  

その挨拶の返答は “お前も同じぐらい老けた・・・な” が 正しいようです。

人は誰でも自分だけは永遠に変わらないと信じているらしいです。 勝手なものです・・


年寄りは “いや昔は良かったが”定番の口癖といいますが それもまた理由があるようです。このブログのタイトル【昭和の心 プラス】も昭和を題材にして話題を作っていますが、“良き昭和の時代”のコメントが多いですよネ!その理由は 変わらない何かをどこかで望んでいるらしいです。もうすんだ過去は変えようがないですからね。何とでも良いイメージを膨らませる事もできると言う訳です。

年寄りは もう変わるのが 嫌で嫌でしかたない・・ 体は痛くなるし 皺は増えるし 直ぐ疲れるし・・ だから変わらない 時代に思いを馳せるのだと・・・か?アメリカ映画や日本映画もそうですよね 主人公は永遠なんです(変わらない自分) そんなはず無いのに そして自分以外は全て撃ち殺してしまうんです。回りは 変わったり 死んだりする でも自分は死んだり 変ったりしないのです。まあ手を合わせていれば変わらないと思っている人も世の中にはいるようですが・・・ 

それが 映画のヒットには欠かせないキーワード “自分だけは変わらない” 永遠だと  映画だけならいいけど 実際にも それをやってるから驚きですよね! 人をやたら撃ち殺してどうするんでしょう?


それで 今日はあえて 昭和で嫌だった事を なにか考えようと思いました。でも難しいいですね。 もう終わっちゃったから 嫌だとかいまさら言っても仕方ないし 後悔みたいだし・・ それに 人間嫌な事は結構直ぐに忘れられるから?

ペットを確りと管理できなかった ペットを幸せにして上げられなかった・・ 
いじめを止めれられなかった・ 仲間はずれは嫌だった・ 寝小便が止まらなかった・ 馬鹿な事をして親に迷惑をかけた・ 昭和に限らず 今の時代でも直さなきゃいけない自分の事とばかり・・・(寝小便は止まりましたが・・) 昭和が その時代自体が 実際なにか悪かったなんて言えないくらい 社会的には幸せな時期だったのかもしれません・・・ まあこれは私だけの見解で 終戦を体験なさった方は もしかすると社会的に嫌な部分もあるのでしょう おそらく



変わって行く時代 変わって行く自分を見つめて歩いていかなくてはならないと思うこの頃です。 


ロンパー重ム




貴方の同級生もあなたと一緒 歳を取る

2015年10月20日火曜日

昭和の心・はじめての大きな買い物?

自分の昭和を考えてみると小学生の頃の記憶ばかりが出てくるのはなぜだろうか?
確かにたくさんの思い出が残っているのですが、初めての経験が多かったので新鮮で鮮明に残っているからでしょうか。

生まれて初めての大きな買い物(買ってもらった)が自転車だったと思います。

自分の行動に大きな変化をもたらしてくれた自転車。
自転車に乗れるようになったのはいつだったか忘れてしまいましたが、小学生の頃は学校が終わると毎日自転車でどこかに出かけていました。

今まで何台の自転車を乗ったのかも忘れてしまいましたが、手に入れた自転車の中でも記憶に残っているのは2台、そのうちの1台が「シンクロメモリー」 なぜこの自転車が欲しかったのか?志村けんさんがCMに出ていて、それにヤラレテしまったのかもしれない。(当時志村さんは凄い人気だったし)

当時人気だったのはウインカーがついている自転車とスーパーカーライトの自転車だった気がするが、買ってもらったのはシンクロメモリーだった。(果たして自転車名だったのか?)
この自転車は私の行動範囲を大いに広げてくれて大活躍してくれたが、いま思い出してみると「シンクロメモリー」って何だったのか?まったく理解していない事に気づいた。

今回この自転車を想い出してあらためて解った事は「形から入るのは子供の頃から変わっていないんだな~」という事でした。

しかし、何だったのだろ?シンクロメモリーって。
後で調べてみよう


waka

                     お洒落な自転車が多くなりました。

2015年10月17日土曜日

あそび

こんにちは あさなぎです。

平成になって27年。人生の半分以上が平成です。早いものですね。
でも、昭和はいつまでも懐かしく心の中で温めている大切な時代です。
子どもの頃の遊び場は公園や小山。
住宅や団地の側には未造成の小山のようなものがあって、
子どもたちの格好の遊び場でした。
今ではあまり見かけませんが、段ボールなどで
秘密基地を作ったものです。
天気の良い日は、公園では雲梯や登り棒、箱ブランコで遊びました。
箱ブランコは何年か前に不幸な事故が起き、危険ということで
公園から撤去されてしまいました。
たしかに大きく動かすと足を挟むこともありましたが、
当時の子どもたちはその危険を上手くかわしながら、上手に遊んだものです。
身体を動かす遊びで、全く危険のない遊びってあるのでしょうか?
危険だからといって、それらを排除しては危険を察知する能力が
育たないような気がします。
禁止するのではなく、遊び方を考えさせる、余裕が今はないのでしょうか。
日本は確かに裕福になり、様々な分野で技術革新が進んでいるのに、
どこか心は貧相になってはいまいか、そんなことを感じます。
雨の日は、家でボードゲーム。人生ゲームやバンカース(いまはモノポリー)。
人生ゲームは、非常にシュールです。
童心に還って、人生ゲームをしてみませんか?





2015年10月13日火曜日

小学生時代の我家の恥ずかしい出来事

昭和40年代の頃今のようなファミリーレストランなどなかった時代。

その頃は、ファミリーレストランと言った名称さえなかった。

我家では『ドライブイン』と言っていました。

また、すし屋等めったに行く事さえなかった時代。

お客さんが来客した際出前を取ったりする位で、家族だけで出前を取る事などよほどの事がない限り食べられなかった贅沢な食事でした。

そして、レストランと言えばデパートの最上階にあるレストラン。

年に2~3回行けるくらいでした。

子供の頃、デパートに行くことは一代イベントでした。
デパートのレストラン街へ行きお子様ランチとクリームソーダを頼むのが取っても楽しみでした。
うまく行けば、おもちゃも買ってもらえるかも・・・・
とても楽しいイベントでした。

そんなある日、我々家族でデパートのレストラン街で何故か中華レストランに入ることになった。

近所にある『中華屋』ではなく、ウエイトレスがチャイナドレスを着てオーダーを聞くようなお店でした。もちろん円卓で中央の部分が回転するテーブルです。

席に着くと小さな湯飲みでお茶を出されました。

父がおもむろにお茶を飲むと、すかさず仁王様のような顔で『何だ!このお茶ちゃんとすすいでないぞ!!』と怒り出しました。

母もお茶を飲むと『本当!!洗剤落ちてない!!』私も試しに飲んでみると『ママレモンが残ってる!』と家族中で大騒ぎ。

母が店員を呼びつけ、『ちょっと~湯のみちゃんとすすいでないわよ!』と感じ悪く文句を言った。

店員:『・・・・・・・』参ったな~と言った表情。

母:『取り替えてください』

店員:『このお茶はジャスミン茶と言って中国の香りのあるお茶なんです』

家族:『・・・・・・・・・・』

父:『そういうお茶なんだって~ ハハハハ』周りを気にしながら誰に言ったか分からないが父が発言した。

家族: 真っ青

子供ながらに恥ずかしかった事を覚えてます。

しかし、今となっては楽しい思い出です。

昭和ならでは的なエピソードです。

今では、和食・中華・洋食と当たり前のように手軽に食すことが出来る時代になり幼児でさえ、トロ食べたい等色々なメニューを知っています。

子供の頃の私には想像も付かない状況です。

これが良いのか悪いのか何ともいえませんが、昭和の時代はとても懐かしくそして、何ともいえない良き時代に思います。

今に比べると家族とのふれあいや暖かさを感じます。

今日では、何でも揃って便利な世の中ではありますが、個別の楽しみはあるようですが、家族単位の暖かさが減少しているような気がします。

こんなこと思っているのは、私だけ~

2015年10月9日金曜日

昭和の天気予報♪ 



記:わかめ・わかめ☆



銭湯よく行きました
実家のそばに1軒有ったので、実家に帰ると じーじと息子そして旦那さんが

ばーばに用意してもらった洗面器と、石鹸と、タオルを持って出かけて行き
1時間くらいすると、ぽっかぽっかの顔をして帰ってきてました (笑)

そこには「朝鮮人参風呂」がまぁまぁ有名で、
通称「にんじん風呂」 (おっと、そのままだ・・)

その「にんじん風呂」、もんのすごく熱いのを覚えてます。。変なにおいもするけど
なんでか、体に良さそうな気がして 子供のくせに、さら湯より好んで入ってました へへ

42度なんて、今思うとめっちゃめちゃ熱くないですか?

シャワーなんていう、便利なものでチャッチャッチャっと お風呂タイムを終わらして
しまっている最近ですが、今宵は、42度設定で入浴剤とか入れて銭湯気分を再現してみよっかな

・・・ あ。お風呂上りはもちろん 「パンピー」で  ^^




「ヤン坊 マー坊天気予報♪」

最後まで歌えます? 
ん~ 結構怪しいけど、途中までなら・・・

昭和の天気予報といったら「ヤン坊 マー坊天気予報」でしょ~~
と、すっかり 昭和だけのものだと思い込んでいましたが

なんと、2009年~2014年3月まで 放送されていたんですね
限られた地域でしたけど、つい去年まで

55年の長い間、昭和と平成を駆け巡った天気予報というわけですね
どっちがお兄ちゃんだか知ってます?(笑)

今でこそ、気象予報士の方々がめっきり増えて
お天気お姉さんや、「○○の天気予報」なんて 色んなお天気番組が増えてますが、

自分のお父さんくらいの年齢の方(気象予報士さん でしょうね・・きっと)が
棒を持って、地図をさしながら 明日のお天気を伝えていた「ヤン坊 マー坊天気予報」

妙に説得力がありました
「あ・そうか、明日は雨なんだ」 ってな感じ


説得力・・・ いつまでも忘れない・・・ 耳に残る・・・ また、ふっと思い出す・・

今の忙しい時代でも、
「懐かしの何か」 って 数年経った後に存在するのかな

何も考えなくても、困らずに一応は生活できる今、
便利で、早くて、みんな忙しくて

昔も変わらない24時間は流れていくけど
無感動で、無関心にだけはなりたくないと思ったりして


失礼しました☆


by wakame









 

2015年10月6日火曜日

昭和の飲み物(銭湯編?)

ロンパージュームさん

無言電話の話、すごくわかります!
僕の場合は父上様の圧力に負けて
小さい声で話し始めてしまうので
無言電話にはなりませんでしたが。

そういえば
「娘はいない!」って言われた場合は
本当にいないんでしょうか?

あの電話を思えば
今ならどこに電話をするのも怖くありませんねー。

終わった!あとの時効3週間は
ほぼほぼ僕と同じくらいです。

昭和の時代の方々は
そういった鍛え方もされているのだと感じました。

「父上様を経由しないで話ができる!」
「しかも緊張して本人に直接話せないときはメールでも伝えることができる!」
なんとも素晴らしい時代になりました。


あさなぎさんの投稿から
銭湯といえば?上がったあとの飲み物!
と思い出し、考えてみました。

フルーツ味やイチゴ味も人気でしたが
僕はコーヒー牛乳が一番好きでした。
大人のフリをして飲んでいたのを覚えています。

瓶ってゴミにもならないですし
とてもいいと思います。
紙パックより冷たいので
お風呂上がりにおいしく感じます。

ぼくはコーシン牛乳で育ちましたが
調べてみるといろいろあるんですねー。

街の銭湯に僕も行ってみたくなりました。


Bukidai


2015年10月1日木曜日

ピッ ポッ パッ の響き |昭和の ぴっ ぽっ ぱっ



   「ピッ ポッ パッ」


池田の家 プッシュホーンだってヨ ! エッ 放課後見に行こうぜ・・・  電話にボタンが付いていて なんでも 「ピッ ポッ パッ」って鳴るんだってヨ・・・ 嘘だろ~ なんて・・・ 耳に当ててボタンを押すと 本当に鳴るじゃん スゲ~じゃん なんで・・・・ 

今の子供達に言っても この驚きは恐らく理解出来ない??? タブレットが腕時計になった なんてレベルの驚きじゃない・・・ 相手はプッシュホーンだ!!! チョット クリームがかった黒電話のボディーに 白い 飛び出たボタンが付いてるんだから驚き。
本当にあるんじゃん ボタンが付いた電話!

そんな 時代でしたから・・・ 
勿論 今の携帯電話なんて007の世界ですね・・・ 下敷きを長方形に切って 鉛筆付けて 「ハイ」なんて 本当に言ってたんです 私・・・ きっと僕だけじゃない 今だから 1人1台の電話の時代だけど 各家に1台あるかないかの時代ですから・・・



世の中の お爺ちゃん(その頃のおじさん) 無言電話の 20件?位??? の犯人は 私です。スミマセン!!!!  だって怖かったんですから 電話するのが もう心臓が止まるか止まらないかのところで 低い声で「もしもし」なんて あ~ 嫌だ 言葉がでない・・・ 終わった・・・ 当分 終わった(時効は3週間)・・・・ 好意がある子の家に電話するですね。時には家から1人で 時には公衆電話に3-4人入って 静かに あの電話の呼び出し音を聞くんです。 


今の子達に言わせれば 「さゆりさんいますか」でいいじゃない って言うかもしれませんが・・・・そりゃー 私だって 何度と無く 正当な手段で トライしましたよ でも 「何の用だ」 エッ 何の用と言われても まさか お嬢さんが好きですとも言えないし・・・ 言ったら最後 お前 今から殺しに行くとか言われちゃうでしょ・・・きっと! その位お父さん怖かった 勿論オッサンなんて言葉は無かった・・・ 

でも お母さんがでると テストで20点の気分ですね。チョット待ってネ なんてつきなみに言われて 戻ってきて なんか親戚と遊びに言っちゃったみたい なんて・・・ その次に電話すると 今度はその半分の10点の気分 今度はお風呂に入ってるみたいって・・・ 「ハイ もう 10点で十分です・・・」 一桁はプライドが許さない。

あ~ 昭和の電話 なんて 切ない響きだ! ピッ ポッ パッ は何処までも 一桁のテストに 近い響き


ロンパージューム